得意不得意
知識を増やせば世界が広がるとか、世界が変わるとか何だとか。
残念だけど、そもそも世界線が違うみたいなのでわかり合えないと思うのよ、私たち。
別れましょう。
そうか、君は僕を理解しようとしてくれないんだね、僕はこんなにも君に寄り添おうとしているのに!許さないっ!!!
グサっ
21歳女性は交際相手と見られる男性に刺され死亡しました。犯人は『殺したのは事実だが、その当時のことを思い出せない』と供述。
結局男は精神鑑定により、罪が軽くなった。
どこまでが世界で、どこまでが自分で、どこまでが自己の精神なのか。ちゃーんと考えましょうね。そもそも世界線なんてたくさんあるに決まっているでしょ?お前の世界と私の世界は違うに決まっている。寄り添うとかわかり合うとかいう表現はしないで。
ここまで見てわかるように、私は人と関わることが向いていない。それだけだ。
感情の共有
私はどうも人と感情を共有することが苦手なようだ。苦手というか嫌いな方が近いかも。
本当に同じ話題で同じ感想を言い合って、『そうそうそう!!!』ってなることは良くあるよね。私もその時は楽しいの。心の底から共感しているの。でもね、やっぱりどこか違うでしょ?
100パーセントの共感なんて無理だと思うの。その少しのズレが気持ち悪くなっちゃう。だから結局1人がいいの。私の中だけで好きなものを埋め尽くしたい。誰にも教えてあげない!
1人は嫌い。
生きにくいそうだね
って。
そう。そう思うのね。やっぱり向いてないみたい。
1人で2人になればいいよ。私にはそれができちゃうの笑
コメントの返信
すみません。コメントの返信わからねえ!
自分学歴コンプすごいんですけどmenheragaruさんはどう思いますか?死ぬほど悩んでます。学歴コンプのせいで二浪するか迷ってしまってます。所詮なんにもできないくせに。一浪して何も出来なかったのに。初対面ですみません。
ということですけども。
どう思うかと言われれば本当にどうでもいいです。一浪して何もできなかったのは勉強?大学?そこまで興味がないからだと思います。原因はわかりませんが、学歴にこだわる何かがあるはずです。例えば親の目、友達の目など。人間は元来孤独な生き物です。しかし、自分とは何か、自分はなぜ生きているのか、何がしたいのか、そこを考えるのにはすごく精神力が必要で面倒臭いものです。それ故に大抵の人間はこうするべき!とか大衆の意見を自分の意見にして生きているのではないでしょうか。私もあなたも含め。ある意味賢いのかもしれませんね。自分の本当にしたいこと、自分の人生と向き合う覚悟がない以上無心で勉強するのをお勧めします。学歴取っといて損はないですからねー。
輪廻
Instagramを辞めた日々は伸び伸びと感じられて過ごしやすかった。しかし、同窓会では私の自由な過ごし方が仇となった。
会話についていけない。私が知っている同級生はいなかった。当たり前だが、それぞれがそれぞれの場所で生活していて、その場に順応したんだなぁという様がまざまざと見えた。
嫌なくらい見えた。見えてしまった。
そして、自分が進んでないことを知った。いや、正確には見せつけられたのだ。皆とても綺麗だった。
結局私はInstagramを入れた。そしてまた、皆のキラキラした生活を見つめている。虚しくなると分かっていながらも。
きっと私はまだ進めない。そんな気がする。もしかしたら進んでいるのだろうか?
あ!そうだ。
スターバックスでは必ず新作のフラペチーノを頼んでいた私。今ではアメリカーノ。進んでいるんだなぁ。少しずつではあるが私は進んでいるのだ。そう思うしかないのだ。
そしてきっとまたInstagramを消すのだ。
今を生きろ
人間調子に乗りすぎ。変な教育受けすぎ。
俺らはいわゆる地球人と言われて育って、地球は丸いと教わって育ったけど、見たことあるんか?火星も水星も存在しているってその目で見たんか??
所詮人間なんて生き物。人間が蟻を下に見るように、もしかしたら俺らだって誰かに見られてるかもしれないのに、1番偉いと思ってる。まじ滑稽すね。一般的とか世間的とか勝手に作って、親は学歴が大切って言うけどそれ以前にその子供のことをちゃんと見てるんか?一対一として。『べき』とか『将来』とかじゃなくてさ、『今』を見なよ。そいつ自身を見ろよ。結局死ぬんだぞ。生物的に必要な酸素、水、日光、食い物、睡眠、そういうのをちゃんとしろって教育するべきだろ。
学歴がなんなの?金が何?生きていけるように?結局人間なんてその程度なんだよ。頭悪すぎる。今を見ろって話。てめえで見たものだけを信じろ。SNSなんてもってのほか。結局蓋開けたらなんも残ってねえからな。
明日首吹っ飛んでもいいように生きよう。
クローン
snsが普及した今、街に出ると全員が同じに見える
話題のカフェにこぞって行く
そこには似たようなファッションをした、似たメイクの、似た髪型の人間がたくさんいる
人間という生き物の本能なのだろうか
協調性の一種なのであろうか
周りと少し違った格好をしているだけでジロジロ見られる
みんな流行りを追っているくせに、自分が特別だと思っている
嗚呼、なんて人間は愚かなのだろうか
どうせあっけなく死ぬのに
自分だけは天使が迎えに来るとでも思っているのだろうか
ただ、そうやって社会の仕組みに順応してクローンのような人間になることはある意味賢いのかもしれない
まあここまで色々書いたわけだが何が言いたいかというと
きっしょ
無知ゆえの幸せ
中学まで自分はそこそこ幸せで、楽しいと思える人生を送っていた。
それは無知ゆえのものだった。
色々なことが繋がるようになった。
その瞬間に不幸になった。
辛い経験は人を強くするとよく言うが、私はそうは思わない。
人は皆弱い。ただの生き物にすぎないから。
自己防衛のために虚栄を張り、自分は強いと言い聞かせている。とうとうダメになった時、自分は毎回毎回蝕まれていただけだと言うことに気づく。
簡単に、無駄じゃないとか言うな。
また辛いことがあったときに耐性がついているだけのこと。
泣いて泣いて泣き枯れて、涙が出なくなったとき人は悪いことを覚える、または考えるのだろう。
悪を責めるのは本当に正義なのか。
こんなことを考えても何の役にも立たないことに少しの苛立ちを憶える。
今日は少し嫌だな